日本での幸せライフレシピ
TRAN UYEN PHUONG – 日本でのご縁に恵まれて…
日本に来たきっかけは何ですか?
きっかけは、同期の友人たちとの競争かもしれません…
高校までは、まさか自分が日本に行くなんて思いもよりませんでしたが、大学進学に向けて準備を始めた頃から将来の方向性が徐々に明確になっていきました。私は英語を専攻しておりましたが、第二外国語として日本語も学んでいました。暫くすると、親しい友人達が皆海外に留学、あるいは移住するようになりました。ある人はヨーロッパへ、ある人はアメリカへ、はたまた日本へ、シンガポールへ…。私はというと、家庭の経済的な事情で彼らのようにはいかず、情けなく感じました。そこで私は努力の末に日本語スピーチ大会に出場して岡山の大学の1年分の奨学金を勝ち取りました。そうしてダナン外国語大学を卒業する際に両親を説得し、日本における勉強、そして仕事の道程が始まりました。
現在、何のお仕事をなさっていますか?
不動産および旅行会社を前身とする人材会社㈱グローバル・ビジネス・ネットワーク(GBN)で営業企画の仕事をしています。「営業」と聞くと煌びやかな印象を受けますが、私の主な業務は在越・在日ベトナム人への仕事紹介や相談を通じて、日本で働くための支援を行うことです。今の業務で地に足がついたら、営業にも挑戦してベトナムの人材を必要とする企業をたくさん開拓したいと思っています。
日本で学んだことのうち、最も良かったことや、強く印象に残ったことは何ですか?
来日当初は東京や大阪のような大都市ではなく、岡山県の地方都市である倉敷市に住んでいました。私は、日本の国土がどこもかしこも高層ビルと騒々しい地下鉄網でできているのではないのだと知って仰天しました。T_T
学業を終えた後の一年目は、ブラック企業に入ってしまい悪夢の様でした。しかし、別の会社に転職した後は良縁に恵まれ、評判、才能のある方々に巡り合いました。それからは今の仕事のみならず、他の業界に関する見識も大いに広げることができました。
日本で夢を実現する過程で、どのような困難に遭遇しましたか?
私は旅好きなのですが、日本に来て4年 近く経ちましたが、未だに旅行と呼べるものに行けていません。半年から1年で転職したり引っ越したりとここ4年間常にせわしい生活を送っていたため、夢を実現するための纏まったお金が手元に無く、さらに猫を2匹飼っているので、遠い所へ旅する夢はしばらくお預けです。
仕事の面では、最大の障壁は日本語かと思います。前職では日本語を使う機会が殆ど無かったので、 ビジネス日本語の聞き取りや資料の閲覧に課題が残っています。今後、直接日本人のお客様とやり取りするため、ビジネス日本語能力の向上は極めて重要であると認識しています。
今後の短期的/長期的な計画をお聞かせいただけますか?
まずはGBNで今の仕事をしっかりこなし、ベトナムの皆様が日本でそれぞれに合う仕事を見つけられるように尽力していきたいです。まずは、日本のお客様、企業に自信を持って対応できるようになりたいです。
将来的には、協力案件や日本におけるベトナム人の育成等を通じて、日越関係の強化に貢献したいです。
さらには、ベトナム市場における戦略的プロジェクトを推進できるような、会社の右腕として活躍したいと思っています。
日本にいる皆様、特に同業の方々へのメッセージをいただけますか?
私自身が特段優れた人間ではないので、他の誰かにアドバイスをするなんて恐れ多いので、私個人の見解と、4年近く日本で勉強したり働いたりしてきた経験を申し上げるにとどめておきます。1つ目は、何かをする際には常に「熱い心」と「冷静な頭」を保つことです。熱い心は、自分が選んだ道を進み続けるための動力源であり、初心を忘れないように思い出させてくれます。冷静な頭は、外的要因に振り回されずに考えるためです。一方で、仕事を効果的に回し、良い結果を得るためには、周囲の意見や助言を受け入れる柔軟さも必要です。
また、日本で仕事をする際には、チームワークが非常に重要です。なぜならば、日本人は常に議論に基づいて仕事を進め、議論を重ね、何かを正式に実行する前には慎重に準備するからです。仕事をする際は、自らがチームの一員であることを自覚し、心掛けていきましょう。
人生が退屈にならないように、仕事以外の情熱や趣味を見つけるようにしましょう。例えば、私は一日中2匹の猫と戯れていますが、私はこの子達のおかげで動物への慈しみが芽生えました。他にも、絵を描いたり、メイクをしたりするのが好きで、これらのスキルを現在の仕事や外部のプロジェクトに活かしています。