A Recipe for a Happy Life

日本での幸せライフレシピ

ファム・ティ・ニュン
穴吹カレッジ アドミッションスタッフ

日本に来たきっかけは何ですか?

大学2年の時、英語以外の外語を履修しなければなりませんでした。他のクラスは空きがなかったので、日本語を選択することにしました。すると、勉強すればするほど熱中してしまい、一日中座って漢字を書いても飽きないほどでした。

大学で日本語を6単位分勉強した後、ハノイのNui Truc日本語センターで日本語を勉強することにしました。そして大学を卒業し、ハノイの送り出し機関で実習生向けの日本語教師になりました。ここで多くの日本人のお客様と接するうちに、自分の会話力に限界を感じ、これを向上させるために日本へ留学することを決意しました。

2014年4月から千葉のとある日本語学校で学ぶためのビザ取得に失敗しましたが、その後幸いにも別の日本語学校の奨学金をいただき、2014年10月に日本へ来ました。

現在、何のお仕事をなさっていますか?

穴吹カレッジのベトナム人入学者選抜、ベトナムとの交流事業を担当しています。

日本で学んだことのうち、最も良かったことや、強く印象に残ったことは何ですか?

以前は、会社は自分の能力に見合った高い給料を払うべきだと考えていました。しかし、次第にその姿勢がとても疲れることであり、働く意欲、仕事の喜びも減退してしまうことに気づきました。

したがって、より良い方法は、とにかく尽力すること、努力すること。本当に利益を生み出せば、企業は決してあなたを不当に扱ったりはしないはずです。

日本で夢を実現する過程で、どのような困難に遭遇しましたか?

日本語学校を卒業した後、ホテルの求人に応募しました。周りの友達は皆早々にビザを取得して働いていましたが、私は待ちに待って、3ヶ月後にようやく結果が出ました。「不可」と。その理由は、私は経済学を勉強しており、仕事と合致していないためでした。

入管からその結果通知の電話があり、帰国しなければならないと言われました。私は泣いて入管で「このまま残って別の仕事を探させてください」と懇願しましたが、受け入れられませんでした。

それでもハローワークに行って仕事を探しましたが、条件を満たしていないと言われました。

その前に、国立香川大学の研究生論文も書きましたが、N1を持っていなかったので対象外でした。

一番絶望していた時に、研究テーマの執筆を指導してくださった教授から、次学期からはN2でも入学資格があるだろうと言われました。しかし、海外からの申請期限は既に切れていたため、日本に滞在して申請を完了させないと帰国できませんでした。

ビザは失効目前…間に合いません。最終的には、教授が協力会社に依頼して、香川大学への再申請のために日本滞在を延長できるように就労ビザ申請書をご作成いただきました(在留カードの在留期間更新等許可申請欄に申請中と記入され、日本に滞在できるようになります)。大学での手続きを終え、在留機関更新の出願を取り下げ、帰国後、経済学部とのスカイプによる最終面接を待つことになりました。

家では、スーツケースを手に帰国したことについての幾千の問いと、両親を含めた周囲の懐疑的な態度に、限りない息苦しさと自虐的な気持ちを抱かざるを得ない日々が続きました。

そうして待つこと4ヶ月、ついに在留資格認定証明書を手に入れました。2017年10月の秋の日、それは悲報と周りからの懐疑に満ちた一年の中で、最も美しい日でした。この文章を書き起こしている今も、あの日の幸せを感じています。

今後の短期的/長期的な計画をお聞かせいただけますか?

日本企業の奨学金をベトナム人留学生に少しでも多く届けたいです。奨学金によって、留学生活をより楽しく快適なものにできるからです。

日本にいる皆様、特に同業の方々へのメッセージをいただけますか?

日本にいる若い人たちに伝えたいのは、何があっても希望を捨てず、挑戦をやめないでほしいということです。最善を尽くし、最後までやり抜けば、いつの日か実を結ぶことでしょう。

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