日本での幸せライフレシピ
仕事と信心
ベトナムの店に入ると、立派な神棚を必ずと言っていいほど見ます。ベトナム人の信心深さが、仕事の現場にも反映されている良い例だと思います。ここでは仕事の場で経験する、ベトナム人の信心についてお伝えします。
「金曜日、事務所を引っ越します」
仕事を手伝うとある会社である月曜日、ベトナム人社長が全社員に伝えた言葉です。その週の金曜日、つまり4日後には引っ越すというのです。
「急すぎる、無理です!」。
「せめて1週間延期して!」。
寝耳に水の引っ越し宣言に、もちろん日本人陣営からは反発の声があがりました。しかし社長はこの日に決行すると言ってききません。よくよく話を聞くと「占いでこの日がいいと言われた」と、理由を説明してくれました。引っ越し日の決定が、事務所の契約や引っ越し業者の都合によるものなら交渉の余地があるとは思いましたが、占いで決まったことは変えられないということで、結局は諦め社長の指示に従ったのでした。
ベトナム人の生活には占いや風水、信仰、げん担ぎなどが根付いていて、その信心はビジネスの現場でも反映されます。
なかでも日時や電話番号など、数字に対するこだわりは強いように思います。たとえばスマートフォンのSIMカードを販売する店を見ると「9999」や「8888」といった番号を羅列した看板を目にします。縁起の良い番号のようで、とくに商売でげん担ぎをする人たちは、こうした番号のSIMカードを、通常より高額で購入しているようです。
このほか前述の事務所引っ越し1つをとっても、日付や間取り、方向なども占いや風水などで決めることがあります。冒頭で説明した神棚も、モダンなブティックであれ、しゃれたレストランであれ、どんな店でも設置されています。神棚は置く場所や方向が決まっているようですが、店の場合は多くが1階部分の床に直置きで鎮座していて、店頭でスタッフがお菓子や花などをあげ、熱心に拝む姿も目にします。
占いやげん担ぎを意識しない人もいるようですが、それでもやはりベトナム社会に強く広く根付いているように感じます。結婚や商談、起業など人生の大事な局面で、より良い選択をしたいという気持ちは誰しもあるもの。そこで習慣として根付いている占いや風水を取り入れてみようという気持ちになるのだと思います。
そのため外国人がベトナムで「自分は占いを信じない」「ビジネスと宗教は切り離す」などと言い張っても、ベトナムで働くうえでは避けて通れない部分だといえます。
現実的な対応が必要な時も
とはいえビジネスである以上、時に信心は後回しにすることが必要な時もあります。というのは以前、次のような光景を一度見たからです。
2015年頃、スパに取材に行った時のことです。店では朝から複数のVIP顧客に影響する大きなトラブルがあったようで、何やらものものしい雰囲気でした。VIPを失うと店の損失も大きいもの。迅速な問題解決が必要です。そのため1人のスタッフは大慌てで電話対応、別のスタッフは過去の施術履歴など書類を必死に確認。そしてあるスタッフは神棚に向かい熱心に祈祷……「祈祷で問題解決!?」と驚いていると、案の定マネージャーが出てきて「今は他にやるべきことがあるよ! お祈りは後!」とスタッフを大喝していました。
確かに、信心は大事ですし尊重すべきものですが、ビジネスにおいては信心よりも優先する作業、妥協すべき状況が発生することも事実です。先のスパのマネージャーのように、スタッフには状況によって優先順位をつけながら対応するよう誘導していくことが大事だと思います。
一方で信心は、心の安定をもたらしてくれるものでもあるので、ビジネスとのバランスが取れればこれほど心強いこともないのではないでしょうか。社員の信心を認めて、やる気やチームワークのアップなどにつなげていけば、より良い成果も見込めると思います。
あさき・ともみ 秋田県生まれ。2000年からライター、韓国語翻訳・通訳、日本語教師と、言葉に関連した仕事に携わっている。2012年からハノイ市に居住。ベトナム航空機内誌「ヘリテイジ・ジャパン」への執筆や編集など活動を続けている。