恋愛 Vol.1

ハノイで暮らしていたころ、プレイボーイで鳴らした日本人がいた。イケメンで、頭が切れて、女性の扱いも洗練されていて申し分ない。男同士で酒を飲んでも嫌みのない好青年だった。

なのに、なぜか、ベトナム女性との浮いた話はひとつもなかった。その理由を最近、本人から聞いた。

「だって、ベトナムの女は怖いから」。アオザイ姿の美女に象徴されるベトナム女性を一言でいえば、風にたゆたうしだれ柳、が近い。優美で、繊細で、しっとりした人間味を勝手に想像してしまう。そんなベトナム女性がどうして怖いのか。

「だって、あそこを切られたくない」。元プレイボーイ氏はそう言った。

ベトナムではかつて、浮気した男性に「チョキン！」と見舞う「越南版阿部定事件」が珍しくなかった。返す刀で、浮気相手の女性の顔に濃塩酸をふりかけ、黒く焼いてしまう奥さん方もいたくらいで、いまでも年に一度は同様の事件が新聞沙汰になる。二度と浮気できないよう、ちょん切ったものを犬のエサにする阿部定真っ青の猛女もいたそうだ。

いまでは、浮気性のご主人様から切り離されたものは、清潔な状態で事件後数時間以内に被害者と一緒に病院搬送すれば、縫合して元に収まるという。医療の進歩もさることながら、それだけ多くの症例があるのだろう。

ベトナムでは「この国の女は、結婚したら猫から虎に変貌する」とよく言われるが、これは夫婦間の力関係だけを意味しているわけではない。約３０００年の歴史の中で、ほぼ１０００年が中国の属国だったことや、近代になっても抗日、抗仏、抗米戦争が続いたことで、男たちのいない「家」を守るため、ベトナム女性は強くならねばならなかった。祖母から母へ、母から娘へ、家を守るための遺伝子が次世代へと着実に受け継がれた結果、「猫から虎」に変わる女性が誕生した——。科学者の言い分は別として、そうとしか思えないほど、ベトナム女性の情念は強く、深く、濃く、重い。

当然ながら、筆者の周りには地元の女性と何とかなりたい男たちもいた。でも、首尾良くデートに誘えたものの、どれだけ待っても女性が現れず、肩を落として立ち去る男たちの話をよく聞いた。筆者の友人（日本人）もそのひとりで、女性に言われた通り、手に真っ赤なバラの花一輪を持ち、目抜き通りの交差点で何時間も待ちぼうけを食わされた。SNSが普及していない時代である。

「ずいぶん、冷たいことをするね」と、友人に恥をかかせた女の子に注意したら、「こんなことくらいでしょげ返るなんて、あの人も根性なしね」と笑っていた。男の値打ちを確かめるため、わざとデートをすっぽかしたらしい。結婚する前から、すでに「虎化」が始まっている女性もいるわけだ。

東京都内でベトナム人の彼女と同棲中のロンさん（仮名、２８歳）は、熱烈にアタックされた末に今の生活となった。「付き合っている女性がいたんですけど、そういうことになりまして・・・」。結婚を前提に同棲を始めて約1年。ロン君はすでに、幸せそうな顔でしっかり、尻に敷かれている。

「上州名物、かかあ天下と空っ風」と似たようなフレーズが、ベトナム語にもあって、「sư tử Hà Đông」（ハドンのライオン）と言う。北部旧ハタイ省の省都がハドンという街で、いまはハノイに編入されている。そこのご婦人たちは代々、ベトナム全国民が脱帽するほどの超しっかり者のようで、百獣の王の称号をいただくまでになった。ハノイのビアホイ（地ビール）屋でいい気分のおじさんたちが「Vì tao rất sợ sư tử Hà Đông….（ハドンのライオンが怖いもんでさ）と言いながら最後の乾杯を急ぐ風景は、同情を禁じ得ない。

ベトナム女性の名誉のために申し上げれば、彼女たちの気質は猟奇的でも、短絡的でも、独裁的でもない。猛女、恐妻は世界中にいる。ただ、猫が虎やライオンに豹変する資質を遺伝子レベルで持ち合わせているのは、世界の中でベトナム女性だけに違いない。

• 

• 

◆トップ写真：
ハノイの中心部、ホアンキエム湖畔で愛を語り合うカップル（2019年8月、筆者撮影）

---

のじま・やすひろ　新潟県生まれ。元毎日新聞記者。経済部、政治部、夕刊編集部、社会部などに所属。ベトナム好きが高じて1997年から1年間、ハノイ国家大学に留学。2020年8月、一般社団法人日越協会を設立。現在、同協会代表理事・事務局長。