A Recipe for a Happy Life

日本での幸せライフレシピ

家族 Vol. 1

「いま生活が大変で、困っています。少しお金を送ってください」。
東京都内の団体役員(50代男性)のスマホに今年6月、そんなメッセージが飛び込んできた。送り主は、ハノイ在住の20代女性。男性が慌てて電話すると、女性は恐る恐る事情を明かした。

コロナ禍で業績の悪化した勤務先から退職を命じられた女性は、ハノイ市内の飲食店で働き始めたが、早朝から深夜まで働いても、同居している家族3人と自分の食費を捻出するのがギリギリで、日本に留学している親族の学費や生活費が工面できなくなったという。男性が無心を言われたのは、これが初めてだった。

男性と女性は10年前に知り合った。短期留学で来日した女性と友人を観光地にアテンドしたのがきっかけで、以来、電話やメールを交わす仲になった。

2人の間に、いわゆる男女の関係はない。「年の離れた妹のような存在。お互い、家族の一員のような感じ」と、男性はいう。「誇りの高い女だから、もしコロナ禍がなかったら、無心してくることもなかっただろう。ベトナム人と家族付き合いをしたら、そういうこともあり得るという話を聞いていたので、無心されて嫌な気はしなかった」。女性に家族の情を感じた男性は、女性の窮状を案じて即刻、ベトナムに送金したという。

ベトナム人は何よりも、家族を大事にする。五、六等親内くらいの親族の生活や仕事の面倒を年長者や「持てる者」が見ることは、ごく当たり前のことだ。この女性も、自分の貯金を崩して母親の手術代や親族の留学費用を賄ってきたという。

ベトナムに進出した日系企業の中には、ベトナム人スタッフの持つ「家族観」をなかなか理解できず、社内ですれ違いや軋轢が生まれることが珍しくない。「大事な商用があるのに電話一本で休んだ」「家庭内の行事を優先して重要な会議に来なかった」などなど、会社側(日本人)にとって信じられない事情が絡んでいることが少なくないという。

もちろん、無断欠勤や就業規則違反の怠業はともかく、当のベトナム人スタッフにとっては「何よりも家族が大事」なのだから、時には大きな心が必要になるだろう。家族が突然病気になった、遠い親戚が突然自宅に来ることになった、子どもの送迎に行かなければならなくなった等々、それなりの事情があることをまず理解してあげることが先決だと思う。いきなり感情的になっては、事態が悪化するだけだ。

ベトナム人の勤労意識や家族観を、どう理解すればいいのだろう。

東京都内で暮らすチャン・ティ・ガーさん(28)は今年3月に結婚し、大学院の修士課程修了後の2021年3月に帰国することにしている。「日本で学んだことを生かしたい」と、当初は修了後に日本で働くつもりで就活に取り組んだが、善戦及ばず、夫タムさん(32)の待つハノイに帰って働くことにした。暦で占った結果、ガーさんは今年3月の結婚が最適と判断し、結果的に「院生結婚」を始めた。もし日本で就職が決まっていたら、ハノイには帰らず、別居生活は長引いていたかもしれない。「でも、いまは早くハノイに戻って夫と暮らしたい。子どもは2人つくると決めている」と気持ちを切り替えている。

ベトナムでは共稼ぎ家庭が多く、女性の社会進出も進んでいる。自分の赤ちゃんの世話を隣家に頼むことも珍しくない。日本ではとうの昔になくなった麗しい風景が、まだベトナムには残っているということなのだが、家族への奉仕と社会人としての責務を企業社会の中でどのように折り合いを付けていくか。日本人が苦手としてきた問題の答えを、ベトナム人社会から見つけられる可能性もありはしないか。

「あなたにとって家族とは?」。ガーさんに聞くと、メールで丁寧な返事をくれた。「家族からの愛は無条件(無償)です。家族はいつでもそばにいます。私たちは家族と話し、家族の前で泣き、笑うことができます」。

2018年に結婚した妹の披露宴で、夫タムさんと写真に収まるガーさん(ガーさん提供)

◆トップ写真
2015年、両親の結婚25周年記念のパーティーを北部バクニン省内で開いた際に家族が集合。
右から2人目がチャン・ティ・ガーさん。仲睦まじく両親をきょうだい3人で囲む(ガーさん提供)


のじま・やすひろ 新潟県生まれ。元毎日新聞記者。経済部、政治部、夕刊編集部、社会部などに所属。ベトナム好きが高じて1997年から1年間、ハノイ国家大学に留学。2020年8月、一般社団法人日越協会を設立。現在、同協会代表理事・事務局長。

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