A Recipe for a Happy Life

日本での幸せライフレシピ

旧正月(テト)の過ごし方

ベトナムに留学していた1998年、旧正月(テト)をハノイで迎えた。年始の挨拶をしようと大学の先生や友人・知人を訪ねたところ、どこのお宅でも必ず、ネップ・モイ(もち米焼酎)とバイン・チュン(ベトナムちまき)をごちそうになった。「チュッ・ムン・ナム・モイ!」(新年おめでとう)と声を合わせて杯を上げつつ、健康と安寧、商売繁盛を共々に祝う。晴れやかな気分に焼酎が進んだ。

それぞれのお宅で必ず「うちで作ったバイン・チュンは、ハノイで一番美味い」と土産に持たせてくれた。「いえ、結構です」なんて野暮なことは言わない性分なので、お邪魔した先々で飲み、かつ食らい、バイン・チュンを丸ごといただいた。

バイン・チュンは1個あたり重さ1キロほど。蒸したもち米の中に緑豆や豚肉が入っていて、大きな葉っぱで四角に包み、結構なボリュームだ。ネップ・モイはアルコール度数40度のハードリカーだから、飲めばそれなりに効いてくる。酩酊する頭で「これも立派な日越交流じゃないか!」と自分に言い聞かせながら、気がつくと翌朝で、ベッドのそばに10個近いバイン・チュンが置いてあった。

バイン・チュンは保存食で、正月休みの間、ご婦人方は台所仕事を軽減できる。貧乏学生だった筆者にとっては、約2週間を食いつなぐことができたので、実際とても有り難いお土産だった。

テトを迎えるにあたって、各家庭では当然ながら、正月の準備が忙しくなる。家族総出でバイン・チュンやネム・ザン(揚げ春巻き)の仕込みに追われ、正月飾りに使うモモやキク、キンカンの枝、鉢植えなどのほか、私のような不意にやってくる左党のためにネップ・モイやルア・モイ(うるち米焼酎)も準備しなければならない。

ベトナムでは毎年この時期、民族大移動が発生し、遠く離れていた家族が再会する。正月の準備をしながら、親は子どもたちの生活を案じ、子どもたちは親の長命を祈る。大晦日の夕食は特に大事な「儀式」で、みんなでワイワイ食べながら、この一年の感謝と向こう一年の諸々の祈りを神仏に捧げる。なので、どんなに忙しくても、テトには実家に帰省することがベトナムでは当たり前の親孝行だった。

それが最近では、世界経済のグローバル化やコロナ禍の猛威の影響で、テトに帰省しないベトナム人が少なくないと言われる。東京都内の飲食店で働くハノイ出身の女性(30)は「昨年もコロナ禍で帰れなかったから今年は絶対、と思っていたけど、飛行機が飛んでないの。両親には申し訳ないけど・・・」とあきらめ顔だ。

この20年ほどで、ベトナムで暮らす外国人が増え、裕福かつ有閑なベトナム人が増えた結果、ハノイやホーチミン、ダナンなど大都市のホテルや飲食店、娯楽施設の中には、テト返上で営業する店舗が増えた。従業員に割り増し賃金を払い、無理を頼んで出勤してもらい、しっかり商売して儲けようという算段なのだが、「そんな無体なことをさせる店なんかやめてしまえ」という親たちがかつては多かった。でも最近は「しっかり稼ぐことも大事だから」とテトに帰省しない子どもたちに理解を示す親が増えている。

ベトナム人の社員を雇用したり、技能実習生を受け入れている日本の企業や事業者に申し上げたいのは、だからといって、彼らの正月休みをむやみやたらに削ってはならない、ということだ。時代がどんなに変わっても、ベトナム人にとって、自分の命よりも、財産よりも、家族が最も大事であることに変わりはない。

まして、勝手にパスポートを取り上げるとか、残業代を払わないとか、荷物を輸送する鉄製コンテナで生活させるとか、この国で起きているベトナム人への人権侵害は犯罪行為であることをこの際、はっきりと自覚してもらうわないことには、ポスト・コロナの経済再生など夢のまた夢に終わるだろう。いま日本経済の底辺を支えてくれているのは、ベトナム人なのだ。

2021年の旧正月元日は、2月12日(金)。せめてこの日は、自分の命や財産よりも大切なものがあるかどうか、ネップ・モイを飲みながら考える一日にしたい。

◆トップ写真:
テトを祝う飾り付けの横を行き交うダナン市民。ベトナムの正月は町中が華やかになる。(2019年2月、ダナン市内で筆者撮影)


のじま・やすひろ 新潟県生まれ。元毎日新聞記者。経済部、政治部、夕刊編集部、社会部などに所属。ベトナム好きが高じて1997年から1年間、ハノイ国家大学に留学。2020年8月、一般社団法人日越協会を設立。現在、同協会代表理事・事務局長。

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